ねこちゃんとフィルムカメラ

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のらちゃん。普段は犬派な私も、猫を見ると思わず胸が躍る。特にのらちゃんには。人やモノに執着しないで、世間と距離を取りながら生きる様子は、どこか勇気づけられる。

実家の愛犬は、甘えん坊だからな。

ねこちゃん、写真を撮らせてくれてありがとう。

カメラという相棒

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私は2台カメラを所有していて、どちらも長いこと使っている。1つは高校生のときにわずかな貯金とお年玉を全額費やして新品で買ったNikon D90というデジタル一眼レフカメラ。もう1つは大学生の頃に中古で購入したNikon FMというフィルムカメラNikon D90はタフなカメラで、アイスランドやフランス、台湾を旅したときも問題なく動いてくれた。一度扉にはさんでしまって、レンズとボディを結合するところがバキバキに折れてしまったが、修理のおかげで復活。今まで私の人生を沢山写してくれた本当に頼もしいカメラだ。D90がいなかったら、私の人生はメモリ3つ分くらい下がっていただろう。

またD90には、写真を撮ることの楽しさや新たな出会いやきっかけを恵んでもらった。D90をLaura(ローラ)と名づけて、もう相当長いこと使っている。当時のデジタルカメラは発展途上にあり、毎年新しい機能が追加されている。今D90を見てみると、同じデジタルカメラとは思えないほど旧式で、有る意味骨董品のようだ。しかしまだまだ現役で、私のそばに寄り添ってくれる。D90は、それほど私の人生の相棒となっているのだ。

一方フィルムカメラのNikonFMは、1980年以前に製造されたもので(詳しくは知らないが)、私が生まれる前のカメラだ。こちらはD90と違ってデジタルではなく機械式で、電池やバッテリー無しでも作動する。何よりデジタル補正がない分、マニュアル操作とあって、自分でシャッタースピードや絞りを調整しながらフィルムに像を写していく。フィルムのよさは、そうした写真撮影の一連の流れを自分で体験できること、仕上がった写真に温かみが生まれること、1枚1枚丁寧に撮影するので、そのときの空気感まで含めて強く印象に残っていることだ。

どちらのカメラが良い悪いというわけではなく、全く性格もタイプも異なるカメラが、私は好きだ。D90のほうは完全に私の過去が詰まっているし、FMのほうは長い伝統が息づいていると感じる。

最近FMの調子が悪く、仕事が早く終わった日には、一度メンテナンスをお願いしようかと考えている。メーカーサポートもとっくに終了しているので、対処してくれるかわからない。ただ、まだまだ現役で、がんばってもらいたいのだ。

早朝の雪かきと嬉しさ

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私は普段、5時半に起床し、6時半には家を出ている。今朝いつも通り家を出たら、アパートの前が雪かきされていた。

思わず道路を見渡してみると、端から見事にきれいになっている。40代くらいの男性が一人で雪かきをしていた。私のアパートは、あんまり人通りが多くない。昨晩の雪のことだから凍った道を覚悟していたのに、見事に裏切られた。何時から雪かきをしてくれていたのだろう。朝から嬉しい気持ちになった。

男性に、思わずお礼をしてしまった。手伝えず、申し訳ない。きっと彼は、誰が見ていなくても、そういうことができる人なのだろう。心の優しい人だ。

 

※写真は上野公園。ちょっと前も似たような写真を載せたが、お気に入りなので。

東京タワーとフィルムカメラと雪。

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今日は予想外に雪が降っている。大寒波が来る!と連日ニュースで流れていたにもかからわらず、東京の帰宅ラッシュは大混乱だ。相変わらず交通網がマヒしている。私は幸い、地下鉄沿線に住んでいたため、何とか帰宅できた。が、実家に住んでいたらと思うと背筋が凍る。

月曜日から仕事で憂鬱なのに、なんでこんな目に合わなきゃいけないんだと、多くの人が思っているだろう。皆が無事に帰宅できますように。

写真は、先日東京タワーに登ったときのもの。Lonely Planetに掲載されていたが、展望台まで行ったことがなかったので登ってみた。スカイツリーのようにきれいではなく、展望台も高くない。昭和チックだけど、そういうところに好感が持てた。シルエットは、知らないおじ様。撮影失礼しました。

不確かな記憶と平凡な写真

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この写真は私が18歳の時に、単身アイスランドに渡った先で撮影したものである。当時はカメラについての知識や技術はなく、ただなんとなく撮影したものだ。先日過去の写真を整理して、たまたま出てきのである。

ここに写っている青い服を着た女性はフランス人で、私より2つ年齢が上だ。左側の女性は台湾人で、同じく2つ上だった。

ひょんな偶然から彼女たちとめぐり合い、しばらく時間を共に過ごし、旅をし、結果的にこの1枚が生まれた。

あれからもう何年も過ぎ、こうやって思い返してみた結果、写真というのは月日が経てば経つほどその価値は高まることがわかった。きっと当時であれば、この何となく撮った写真はごく普通の写真で、特に見返すこともなかっただろう。

ただ、当時から相当な月日が経ち、当時のことに思いをはせるとなると、彼女たちは元気にしているだろうかと、この写真を眺めながら胸が痛む。台湾人の女性は、その当時から何度か縁があり、台湾や日本で会うものの、フランス人の女性とは会えない。きっとこの先も、会えるか会えないかわからないだろう。台湾人の女性だって、きっと会えたとしても死ぬまでに2〜3回だ。

なぜ彼女たちの顔をしっかりと写さなかったのか、非常に悔やむ。彼女たちの顔は、うる覚えではあるものの、いつかきっと忘れてしまう。思い出は薄れることなく、ほぼ毎日のように懐かしんでいるのに、その細部はどんどん闇に飲まれていくだろう。

しかし、こうも思う。顔が写っていない、なんてことのない写真だからこそ、彼女たちの現在を想いられるのだ。輪郭が曖昧で、極めて不確かな記憶が、返って、旅の記憶を鮮明にし、彼女たちとの繋がりを強くしてくれているのだと。文章ではうまく書けないけれど、このなんて事のない写真を撮った当時の私に感謝して、日曜日を終わりにしたい。

 

金曜日とフィルムカメラ

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ようやく一週間が終わり。非常に運がよく定時で退社することができた。フィルムカメラを手にするだけで、世界が広がったような気がする。まだ見ぬ世界を、ファインダーに求めて。

心のバランス

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生きている上で、良いことと悪いことのバランスは、なぜか不思議とある。良いことの方多かったら、嬉しい限りではあるが奢らないように戒めが必要だし、悪いことが多ければじっと耐えたりやり方を見直したりする必要が出てくる。

良いことと悪いことといっても、そう単純に分けられるものでもなく、そこにはやり甲斐や充足感や義務や将来への希望なんかの要素が交わってきて、人によって良いことと悪いことは(言うまでもなく)異なってくる。

だから、時々、ちょっと立ち止まって考える必要がある。まぁこういうちょっと立ち止まる場合というのは、多くの場合、何らかの心に引っかかる要因が割るわけだが。

とりわけ私的なことで申し訳ないが、最近は悪いことが多い気がする。心のバランスがうまく取れない。写真や読書でなんとか保ちつつあるものの、それでもいつか崩れてしまいそうな予感がする。どうしたら良いのだろう。

全て忘れて、世界を旅したい。

 

写真は実家の愛犬。会いたい。