木曜日の気分
水曜日も終わり。年が明けて、5連勤は初めてだ。ようやく日常の業務が始まったと実感できた。これからしばらくは長期連休がないとなると、週末や仕事終わりのちょっとした時間に息抜きをすることが求められる。どう過ごしたら自分にとって、身体的にも精神的にもリフレッシュできるのか、考えていきたい。
さて、撮影した写真の保存方法について、世の人はどのように行っているのだろうか。この半年ほど、久しぶりにフィルムカメラでの撮影がメインとなったので、現像やプリントなどをしてアルバムを作成したり部屋に飾ったりして楽しんでいる。そうすると、今までのデジタルで撮影した写真は、ほとんど見返したことがないことに気づく。SNSやブログに写真を載せることはあるものの、結局はSDカードに保存されっぱなしで、保管されるのだ。そうなると、今まで撮影した写真は、結局のところ見返すこともほとんどなく、単なる記録にもならないような方法で保存されていたことになる。なんともったいない。
フィルムカメラで撮影してプリントされた写真を眺めていると、これが写真の楽しみ方なんだよな。と気づく。デジタルでも見返すこともないではないが、スマホの小さな画面で見たところで、写真の価値は半減だ。第一、他人に見てもらうことを念頭に置くSNSで、写真は本当にその価値を保っていられるのだろうか。
だから、私はこれから今まで貯めて置いたデジタルデータについても、お気に入りをプリントしていきたいと思う。そうして、数十年前のように写真でアルバムを作成していきたい。いつでも見返すことが出来るように、そして写真をいつまでも残しておけるように。そうすればきっと写真ライフをもっと楽しめるようになるはずだ。
月曜日の夜はゆっくり過ごそう
月曜日が終わる。一週間の始まりはいつだって憂鬱だ。今日は珍しく仕事が早く終わったので、ゆっくりお風呂につかり、読書。温まりすぎたので、湯冷ましをしながらこのブログを書いている。最近はもっぱら夏目漱石を読んでいる。この十何年かは海外の古典文学を中心に読み漁ってきたが、ようやく日本文学も読めるようになってきた。というか、夏目漱石ってこんなに平易な文章を書く人だったかと目からうろこだ。
明治から昭和初期の文学作品は、男女のもつれや三角関係、日本的なモラトリアムを題材にした作品が多くて敬遠してきたが、夏目漱石を読んでいると、はっと息をのむような美しい文章に出会う。
当時で既に、日本語の美しさは完成したのではないかと思うほどだ。言語が生きているとするならば、これからの日本語はどこにいくのだろうか、と首をひねるのである。
友人との夜ごはん
今日は久しぶりに仕事が早く終わったので、家でゆっくり食事を食べた。そしたら近所に住んでる友人から、一緒に夜ごはんでもどうだと誘われたので、お茶だけでもと思っていたが、着いていった先のお店がとても美味しそうで、2食分食べてしまった。こんなにお腹いっぱいになるのは、いつぶりだろう。
痩せたと言われた。確かに、少し体重は軽くなった。実家にいる時より、食べる量が減ったからかな。その分、栄養も全然足りていないんだけど。
友人との時間を、その時の空気まで収めたい
幸い、友人たちとは住んでいる地域が近く、頻繁に会える。ただ今後は年齢的なこともあり人生の岐路に立つことが多くなる。いつまで一緒にいられるかわからない。一緒にいられるうちに、今の彼や彼女たちを写真に収めたい。
離れ離れになっても、彼らがそばにいてくれるように、写真を撮り続けたい。
理不尽だと思うこと
職場の指導員というか上司と馬が合わない。自分のことを感情的に嫌っているのが手に取るようにわかる。いい年なのだから態度には出してほしくないのだが、露骨に出してくるのが厄介だ。こちらも大人の対応をすればよいものの、落ち込んだり緊張したりするのが表情に出てしまう。よってどんどん関係が悪化していく。
人間関係で仕事を辞めるなんて、どこの職場にも嫌な人の一人や二人いるだろうと思っていたが、これはなかなか心が折れそうだ。学生の登校拒否する人の気持ちがわかる。
自分にも非があるのではと思って、いろいろ試行錯誤してみた。その結果、だめだ。つらいなぁ。せっかく転職したのになぁ。