木陰のなかの水たまり

日常のささいなことや、光や影について、ゆるく書いていければなと思います。

舞う花びらに焦がれて

お花見をしたい。私の仕事は年度末、年度初めがとても忙しいので、お花見の季節は嫌いだ。この季節がやってくるたびに、桜のことよりも仕事のことを考えてしまう。定年退職者を送り出したと思ったら、初々しい新入社員が入ってきて、慌ただしいことこの上ない。陽気な陽射しとは裏腹に、私は暗い気持ちになっている。世間のように、お花見をしてワイワイ盛り上がりたい。舞う花びらの下で、酔っ払って愉快に笑いたい。

お花見は大勢でやっても楽しいし、心許す人だけでやってもほのぼのとする。しかし桜が見頃の時期は一瞬なので、学生でもない限り予定を合わせるのは困難だ。お花見をしたいけれど、泣く泣く見送る人も多いのではなかろうか。私にはいくつかお花見の思い出があるが、中でも心に残っているのは社会人になりたての頃、公園で当時お付き合いをしていた人とサクラを眺めたことである。

大学を卒業した数日後、私たちは社会に出た。昼夜逆転していた生活から、普通の生活に戻り、スーツを着て会社に通っていた。その当時は、2人とも絶望感に打ちひしがれていた。ただ2人が寄り添うことで、その辛さを和らげた。

ある休日、私たちは住宅街にある小さな公園にいた。満開のサクラの木が一本、人は誰もいない。生活の激変に悲鳴をあげだ2人は、サクラの前に座っていた。話すことは山ほどある。学生への郷愁、これからの不安、社会人としての孤独。今思えば甘ったれた新入社員のうわ言だが、当時の私たちはこのように不安感に苛まれていた。私たちの目には、舞い散る花びらがとても寂しげに写った。うららかな日差しと春特有の陽気にもかかわらず。

ちょうどその日は、その人の誕生日だったこともあり、花を贈った。その花にサクラの花びらが舞い降りたのは今でも覚えている。朝から夕方まで、その人とサクラを前にして静かに過ごした。肩と肩を触れ合わせ、心も通わせ、これから来る長い生活に一種の諦めと怖さを共有し合った。

私にとってサクラとは、そのように寂しげで悲しい印象のもつ特別な花だ。サクラの花が咲くと、当時のことを思い出す。孤独に耐えながら、2人で暖まろうと身と心を寄せ合った若き2人のことを。