木陰のなかの水たまり

日常のささいなことや、光や影について、ゆるく書いていければなと思います。

忙しさの中の心の拠り所とわずかな努力

年度末、年度初めは忙しい。忙殺されながらも、春の陽光や柔らかな風に身をさらしていると幾分か心が優しくなる。職場の近くに桜の木があり、毎日少しずつ開花していく様子を眺めている。確かに新たな季節に突入しているようだ。

その他に、現在心の拠り所としているもので、読書がある。今読んでいるのはドストエフスキーの『死の家の記録』だ。学生時代からロシアの文学が好きで、とりわけドストエフスキーには取りつかれたように読みあさった。当時10代だった私は、彼の作品には人生において大切なものが全て記されていると思っていた。『罪と罰』を手にしたとき、過去に体験しことのないような心の震えがあった。『白痴』や『悪霊』、『カラマーゾフの兄弟』はさらにそれを上回るものがあった。

一般的に、ロシア文学は難しいと敬遠される傾向にある。しかしこれは全くの誤解であると言いたい。なぜなら、文章は極めて読みやすく(素晴らしい翻訳のおかげで)、内容も大枠で捉えると込み入ったものは少ないからだ。確かに人名は覚えづらい。本も数千ページあるため読み終えるまでにある程度の基礎体力が必要となる(読み進める体力)。しかしこれらを鑑みても、行間を追うごとにイメージが頭の中に自然と膨らんできて、勝手に物語が進行していく様子は、読んだことのある人は認めるところだろう。

ドストエフスキーが現代まで読み継がれているのは、訳が良いのはもちろんだが、彼の小説が人間の内奥を徹底して描写しているからだろう。と同時に、思想や人間関係や、人生についてを1つのところに全て書いてそれをうまい具合に収束させていることにある。

彼の作品にはとんでもない人物がたくさん出てきているが、彼の筆でそれらの人々を描くと、どこかしら愛に包まれることになる。私は、彼の本を拠り所とすることで、現実から逃避している。現実を忘れることは、ときには必要なものなのだ。特に行き詰まっているようなときには。

 

転職サイトなるものに登録してみた。改めて世の中には膨大な職業があるんだなと思う。世界の成り立ちのようなものを、そのサイト1つから感じ取ることが出来た。とりあえず、1日30分。それ以上でも以下でもなく、それらに目を通して、気に入ったものは応募する。習慣付けが大切なのだ。