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木陰のなかの水たまり

日常のささいなことや、光や影について、ゆるく書いていければなと思います。

非日常から現実へ

なにか非日常の体験をした後に、現実に戻る瞬間はなぜこんなにも辛いのだろうか。友人と夜遅くまで飲み交わし、帰りの電車の中で現実に戻る憂鬱さにひとり涙を流した人もきっといることだろう。当然友人と飲み交わした時間も、間違いなく現実だ。しかし彼ら/彼女らは、職場や学校の繰り返しの毎日に涙する。ああ、これからまた退屈な日々に戻るのだと。

私も一昨日まで瀬戸内の穏やかな島にいた。わずか2泊3日ではあったが、十分非日常な時間だった。今まで見たこともない風景が広がり、普段聞かない言葉を聞き、珍しい香りを感じ、島特有の時間の流れに身を任せた。旅先から帰路に着くとき、なんとも言えない憂鬱さに襲われた。この旅行から帰宅したら、職場と自宅の往復が待っていると。

これは考えてみれば当たり前で、旅先では自分を縛るものは何もなく、見るものも新鮮で、そもそも自分から望んで旅に出たわけだ。一方で職場(学校)と自宅の往復は、自分で選んだ道とは言え半ば強制されたものである。未来が明るいわけでもなく付き合いたくない同僚とも顔を合わせ、日々成長したなという実感もなく家に帰る。旅先での未知への好奇心とそんな平凡な日常とを比較し涙するのだ。

これは、私の場合に限ってのことなのだが、日常が充実していないからだ。要は気の持ち用ということになる。なんだか無理やりつなぎ合わせたような文章で申し訳ないが、そういうことなのだ。結局のところ日常を充実させれば、サザエさん症候群的なものにはなるまい。つまり、たとえ職場と自宅の往復であろうと、そこから刺激的な部分を創造し生きていけたらと思う。

私が好きな森博嗣は、人生について「時間的なつながり」を意識して生きていけばいいと述べている。わかりやすく言うと、「昨日のそれが、明日のあれになる」というように、日常のささいなものが明日につながっているという確実な実感が私たちには必要だということだ。

なんだか自己啓発系になってしまった(私はこの類は控え目に言って好まないのだが)。旅行後の日常に戻って、私はあくせくとしている。