木陰のなかの水たまり

日常のささいなことや、光や影について、ゆるく書いていければなと思います。

生命を持たぬ花たちへ

先日、友人に連れられて造花の専門店に行った。友人は造花を使って工作をするのが好きで、そのようなお店に精通していた。私は工作が苦手で造花も手に取る機会もなかったので、そのようなお店に足を運んだことがなかった。というより、造花の専門店なるものが存在することすら知らなかった。

造花の専門店に入ると、あまりの華やかさに驚いた。まるで、本物の花屋に踏み込んだようだ。造花といえど、雑貨屋に売っているようなものではなく、1本1本手作りで本物との区別がほとんどできない。もちろん触ればわかるのだが、色や花びらの形やシワも非常にリアルに作られている。いろんな色事に、いろんな種類の花が置かれており、色も1つとして同じものはなくすべて異なっている。

 

生命を持たぬ花たちが、これほど美しいとは思わなかった。

もちろん、生命あるものに勝るものはない。それは理解している。けれどあまりにも巧妙に作られ、紙に生命が吹き込まれたようだった。友人は数多くある造花を隅から隅まで眺め、工作するイメージを思い浮かべながら一本ずつ手に取り吟味していた。そして1時間ほどかけ、工作に使えそうな造花を購入した。

店内には私の友人と同様に、造花を求める人で賑わっていた。女性がほとんどだったが、男性もちらほらと見かけた。普段工作をしない私にとって、そこで造花を買い求める人たちは一体何を目的にやってきたのかと興味深かった。この世の中では、工作をする人がいかに多いことか。

 

その店内に1時間ほどいて、私は1つのある発見をした。それは造花を買い求める人たち全員が、皆幸せそうな顔をしていたことである。創作の喜びからだろうか、1輪ずつ選んでいる姿は、生命あるものを前にした本物の花屋のようだった。

生命を持たぬ花たちへ、確かに君たちは生命を持たないかもしれない。しかし君たちは生命と同じように人の心を暖め、幸せにしている。生命ある花々と変わらずに。