書き連ねることによる忘却

日記を書き続けて5年半になる。書く媒体はシンプルなノートブックがほとんどだが、どの端末からでも閲覧出来るOnenoteにもたまに書く。ほぼ毎日、その時の気分をつらつらと書いている。

日記を付ける上で、自分の中の決まりごとがある。一番重要なのは、絶対に誰にも見せてはいけないということ。このブログのように不特定多数の人が閲覧できる環境だと、日記を付けるにも他者を意識した内容になってしまう。日記はかならず、自分のためのものとして、素直な感情を書く。落ち込んだり悲しんだり、言葉にならないような感情を味わったら、それをそのまま書く。

もちろん文章なんて支離滅裂でいい。その時頭にある感情や思いを言葉に置き換えていく。感情を言語化するということは、指と指との間から砂がこぼれ落ちていくことに似ている。どんなに適切な言葉を探したって、心を正確に描写することなんてできない。だからこそできるだけ素直であるべきなのだ。

 

日記を習慣にしたことでわかったことなのだが、書くと気分がスッキリする。これは本当だ。疑う人は試してみればいい。忘れないために書くというのももちろんあるが、忘れるために書くことだって、日記の効用にはあるのだ。心の中にあるものを自由に表現することなんて芸術家ならまだしも、普通の人の日常の生活ではあまりできない。しかし日記ではそれができる。それも1番簡単な方法で。

 

それでは、お前は日記によって少しでも成長したのだろうか。人間としての深みは増したのか、と正面から尋ねられたら困ってしまうが、少なくとも日記があったからこそ今の自分がいるのだと思える。今までいろんな苦しい感情や悲しい出来事に直面して、運が悪ければもっとひどい状況に陥っていたかもしれないのだ。日記を書くことによって感情の揺れ幅はある程度コントロール出来ているのだと感じる。

日記を付けたことがない人は、どんなことでも良いから、「誰にも見せない」ことを条件にそっと書き連ねて欲しい。もしかしたら、違った生活が見えるかもしれない。